PAISLEY

ペイズリー柄の
意味と歴史

花から曲線へ、ショールから胸元へ。
時代と国を越えて、姿を変える文様。

年代は各章で扱う時代の区分です。資料画像の出典・制作年は本文に記載しています。

植物の芽にも、果実にも見える。
あの曲線は、どこから来たのでしょう。

ネクタイやスカーフでおなじみのペイズリー。ひと目でそれとわかる形の中には、花や葉が描かれ、時には大胆な曲線だけが残ります。その歴史をたどると、ペルシャの装飾文化、カシミールの手仕事、ヨーロッパのショールへとつながっていきます。ここでは、文様の源流から現在の装いまで、五つの時代を通してその魅力を見ていきます。

ペイズリー柄とはWhat is Paisley

ペイズリーは、先端がくるりと曲がったしずく形を基本とする文様です。輪郭の内側に草花を詰めたもの、細長く引き伸ばしたもの、形だけをすっきりと表したもの。同じ曲線をもとにしながら、驚くほど多彩な表情を見せます。

何の形に見えるでしょうか。糸杉、松かさ、マンゴー、あるいは日本の勾玉。土地によって見立ても呼び名も異なり、ペルシャでは「ボテ(boteh)」、インドでは「ブータ(buta)」などと呼ばれてきました。

生命や豊かさを重ねて見ることもあれば、曲線そのものの美しさを楽しむこともある。ひとつの意味に縛られないところにも、この文様の魅力があるのかもしれません。

カシミールのショールを縦に掛けた全体写真。広い無地の中央と、裾に並ぶ大きなボテが見える
資料画像カシミール製とされるショール(1800年頃)を縦に掛けた全体写真。広い無地の部分を縁取り、裾には大きなボテが並びます。所蔵:アムステルダム国立美術館(Public Domain)
生成り地の裾に、花で埋めた大きなしずく形の文様が並ぶショール
資料画像同じショールの裾と角を大きく見せた写真。ボテには、曲がった先端と、内側を埋める草花がはっきり見られます。所蔵:アムステルダム国立美術館(Public Domain)

文様が旅した道A Journey Through Time

224~651年
ササン朝ペルシャ。文様の源流の一説とされる、植物的な装飾の時代
1501~1736年
サファヴィー朝。後期には先端が曲がった形へ発展したとされる
17~18世紀
ムガル帝国とカシミール。ショールを彩る文様として花開く
18~19世紀
ヨーロッパでショールが流行。スコットランドの町の名が呼び名に
20世紀~
世界の衣服や小物へ。形と色を変えながら、装いの定番となる

初期の起源と発展には諸説があります。古代の植物的な文様と、後世のショールに見られる先端の曲がった形を区別して紹介します。

ササン朝、植物文様の源流

Sassanian Persia

224~651年/ササン朝ペルシャ(現在のイランを中心とする地域)

ペイズリーの源流をたどる説のひとつは、ササン朝ペルシャの装飾へと行き着きます。花や茂みを思わせるふくらみのある文様が、建築や絹織物などを飾っていたとされています。

当時の姿を考える手がかりは、目立つ鉤形の先端を持たない、植物的な表現です。花や葉の姿が、どのように文様へと変わっていったのか。その変化を見つめると、おなじみの曲線にも違った表情が見えてきます。

連珠円文の有翼の馬と、その周囲の樹木・花の文様を繰り返した縦長の絹織物断片の全体
資料画像ササン朝文化の絹織物断片の全体(5~7世紀頃、中央アジア)。丸い粒を連ねた円文の中に、有翼の馬が繰り返し配されています。所蔵:メトロポリタン美術館(所蔵番号:2004.255/Public Domain)
同じ絹織物の部分写真。馬を囲む円文の外側に、丸みのある葉や花を持つ植物文様が見える
資料画像同じ織物の部分写真。円文の外側には、様式化された樹木と花が見られます。ペイズリーの直接の原型と断定するものではなく、当時の植物的な装飾を紹介する資料です。所蔵:メトロポリタン美術館(所蔵番号:2004.255/Public Domain)

サファヴィー朝、曲がる先端

The Curving Tip

1501~1736年/サファヴィー朝ペルシャ(現在のイランを中心とする地域)

サファヴィー朝のペルシャでは、草花や蔓の文様が、織物だけでなく本のページも華やかに彩りました。青地に金の葉を重ねた写本や、先端が巻いた葉を繰り返す絹織物から、植物を自在な曲線へと表す装飾の豊かさが伝わります。

サファヴィー朝後期になると、花のような文様は、先端が鉤状に曲がった形へ発展したとされています。私たちがペイズリーと聞いて思い浮かべる、あの曲線に近づいていくのです。

植物の写実的な姿から、ひとつのまとまりを持つ装飾へ。草花を内側に残しながら輪郭が強まると、文様には繰り返し並べたり、伸ばしたりできる自由さが生まれます。こうした表現は、ペルシャと文化的なつながりを持つムガル帝国の装飾にも広がっていきました。

下の4枚は、同時代の植物文様を見比べるための資料です。写本の装飾や巻いた葉を、ボテそのものと同定した例ではありません。

『鳥の言葉』写本の装飾ページ全体。青と金の草花が本文を囲む
資料画像『鳥の言葉』写本の装飾ページ。本文は1487年、装飾は1600年頃。シャー・アッバース1世の時代に加えられた華やかな装飾です。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)
同写本の部分。青地に金の葉、赤い蔓、小さな花が描かれる
資料画像同じページの部分。青地に金の葉や蔓、小さな花が重なり、本の中まで植物文様で彩られています。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)
17世紀イランの織物断片全体。花と先端が巻いた葉が交互に並ぶ
資料画像絹と金属糸による織物断片(17世紀、イランに帰属)。長い茎の花と、羽毛のような葉が交互に並びます。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)
同織物の部分。細長い葉の先端が渦状に巻いている
資料画像同じ織物の部分。葉先がくるりと巻いた形と、細かな織りの表情が見られます。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)

カシミールで花開く

Mughal India & Kashmir

17~18世紀を中心に/ムガル帝国とカシミール(インド亜大陸)

ムガル帝国のもとで、この文様はカシミールの上質なショールと深く結びつきます。柔らかなヤギの毛を用いた布に、織りや刺繍で表された花と曲線。その魅力は、文様の形だけでなく、細部まで作り込む手仕事にもありました。

18世紀前半のショールの端には、小さな花やつぼみを松かさのような輪郭にまとめた「ボタ」が並びます。花を束ねたような形から、布一枚の印象をつくる装飾へ。現存する作品から、多彩な表現を見比べることができます。

下の全体写真と部分写真は、カシミール製とされる18世紀前半のパシュミナの織物です。花やつぼみがひとつの輪郭にまとまり、横一列に繰り返される様子が分かります。

小さな花やつぼみを松かさ状にまとめたボタが横一列に並ぶショールの端のパネル
資料画像ショールの端のパネル(18世紀前半、カシミール製とされる)。パシュミナの織物に、花やつぼみをまとめた「ボタ」が横一列に並びます。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)
ショールの端の部分写真。赤や緑の花やつぼみが、ひとつの松かさ状の輪郭にまとまっている
資料画像同じパネルの部分。花やつぼみを細かな枝でつなぎ、まとまりのある輪郭に仕上げています。文様の根元には葉が広がります。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)

19世紀には、ヨーロッパ向けのショールで文様がさらに密になり、細長い曲線が布全体に広がる表現も見られるようになります。下の全体写真と部分写真は、刺繍による華やかな装飾を見せる19世紀の赤いショールです。

赤を基調に、先端が渦状に巻いた細長い文様が布全体に広がるカシミールのショール
資料画像カシミール製のショール(19世紀)。赤を基調とした布に、先端が巻いた細長い文様と細かな装飾が広がります。ヨーロッパ市場向けに発展した、刺繍による華やかな表現の一例です。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)
赤いショールの裾の角の部分写真。小さなペイズリーや花の刺繍と色とりどりの糸が見える
資料画像同じショールの裾の角の部分。小さなペイズリーや花の装飾、刺繍の糸の表情まで見られます。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)

ヨーロッパで得た名前

From Kashmir to Paisley

18~19世紀/ヨーロッパ、とくにスコットランド

18世紀、カシミールのショールはヨーロッパへ渡り、世紀末には上流階級の女性たちの装いを彩る人気の品となります。1804年頃に描かれた《タレーラン夫人》にも、椅子に掛けられたショールが見られます。高価な輸入品への憧れと需要を受け、イギリスやフランスでも、その意匠を取り入れたショールが作られるようになりました。

白いドレスのタレーラン夫人と、左の椅子に掛けられた柄入りのショール
資料画像フランソワ・ジェラール《タレーラン夫人》(1804年頃)。左の椅子に掛けられたショールが、当時の流行を伝えます。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain)
タレーラン夫人の肖像画の部分拡大。椅子に掛けられたショールの裾に、色とりどりの文様が描かれる
資料画像同じ肖像画の左下、椅子に掛けられたショールの部分拡大。生成りの地や、裾に草花を詰めた文様が、冒頭で紹介した1800年頃のショールとよく似ています。所蔵:メトロポリタン美術館(Public Domain/全体画像の一部を拡大表示)

主要な生産地のひとつとなったのが、スコットランドの町、ペイズリーです。町の名はショールの呼び名として広まり、20世紀初頭までには、あの先端の曲がった文様そのものも「ペイズリー」と呼ばれるようになります。

赤い中央の周りを、細長いペイズリー文様が囲むショール
資料画像スコットランド・ペイズリー製のショール(1865年頃)。ジャカード織りで、細長いボテが中央を取り囲みます。所蔵:クーパー・ヒューイット、スミソニアン・デザイン博物館(CC0)
1865年頃のペイズリー製ショールの部分写真。赤い無地を囲み、細長く巻いたボテと細かな花模様が並ぶ
資料画像同じショールの裾を大きく写した公式の部分写真。細長く伸びたボテと、その内側の細かな装飾が見られます。所蔵:クーパー・ヒューイット、スミソニアン・デザイン博物館(CC0)

複雑な柄の生産を支えたのが、紋紙の穴の有無で経糸の上げ下げを制御するジャカード織機でした。手仕事の意匠と織物技術、そして流行。異なる土地の工夫が交わり、文様はさらに多彩になっていきます。

木製のジャカード織機。上部の装置から多くの紐が垂れ、左側に穴の開いた紋紙が連なる
資料画像スコットランド国立博物館に展示されたジャカード織機。紋紙と多くの紐を用い、複雑な柄を織り出す仕組みを伝える資料です。展示・撮影:スコットランド国立博物館/写真:Alf van Beem、Wikimedia Commons(CC0)
ペイズリー文様を細かな点描で描いた、機械織りショールの図案
資料画像機械織りショールの図案(1840年頃)。細かな描き込みから、複雑な文様を布に表すための工夫がうかがえます。所蔵:クーパー・ヒューイット、スミソニアン・デザイン博物館(CC0)

世界の装いへ

A Pattern for Everyone

20世紀~現在/世界各地

1870年代から大きなショールの流行が衰えても、文様の旅は終わりませんでした。スカーフ、シャツ、ドレス、バンダナ、そしてネクタイへ。日本でも、着物や帯などの装いに取り入れられています。

19世紀初頭の小さく簡潔な形から、20世紀の花を強調した形や抽象的な形まで、時代に合わせて多彩な表現が生まれました。1960年代の鮮やかなファッションでも脚光を浴び、同じ曲線が、時には端正に、時には自由で大胆に表現されます。

ペイズリーの魅力は、華やかさを一つの方向に決めないこと。色数を抑えれば落ち着きが生まれ、大きく描けば存在感が増す。柄の大きさと配色によって、装いに添える表情を変えられます。

旅する文様を、胸元に。

草花を束ねたような姿から、自由に伸びる曲線へ。
時代と国を越えて受け継がれたペイズリーは、今日も胸元を彩ります。
色や柄の大きさで変わる表情を、いつもの装いに。

よくある質問Q&A

ペイズリー柄はどんな形ですか?

先端がくるりと曲がったしずく形を基本とする文様です。内側に草花を描いたもの、細長く伸ばしたもの、小さく簡潔に表したものなど、多彩な表現があります。

ペイズリー柄にはどんな意味がありますか?

起源や意味には諸説があります。糸杉や「生命の樹」、花や果実とのつながりが語られ、生命力や豊かさを重ねて解釈されることもあります。すべてのペイズリーに共通する意味が決まっているわけではありません。

「ペイズリー」という名前の由来は?

19世紀にカシミール風ショールの主要な生産地となった、スコットランドの町「ペイズリー」に由来します。町の名がショールの呼び名として広まり、20世紀初頭までには、文様そのものの名前にもなりました。

ペイズリー柄はササン朝で生まれたのですか?

初期の歴史には諸説があります。その源流を、ササン朝ペルシャの植物的な文様に求める説があります。ただし、現在おなじみの先端が曲がった形が、そのまま古代から存在したと断定することはできません。

ペイズリーのネクタイはビジネスでも使えますか?

はい。小柄で地色と柄の色が近いものは落ち着いた印象になり、ビジネスの装いにもなじみます。無地のスーツやシャツに合わせると、曲線の美しさが引き立ちます。

参考資料

※ペイズリーの起源や初期の歴史には諸説があります。


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