田屋の歴史HISTORY
1885(明治18)
- 伊藤博文を総理大臣とする初の内閣が成立
山梨県出身の田谷常吉が、当時は唐物屋(とうぶつや)と呼ばれた洋小間物商・田屋を銀座1丁目に創業。現田屋の前身となった。
店内はすべて舶来品。在留外国人の方も来店されていたという。

創業者 田谷常吉

当時の外観

田屋カタログ
(明治・大正期)

商品ページが切り取れるポストカードブックのカタログ
(以下3点はカタログ掲載のイラスト/店内写真も同カタログから)

ガウン/パジャマ/スリッパ/タオル

レインコート

寝具
1889(明治22)
- 東京府が市制施行により東京市を設け銀座は東京市京橋区に
明治期の地図:銀座1丁目/中央通西側
煙草商、和洋菓子商、ボタン問屋らと並び「洋品商 田屋」の文字が見える。

1894(明治27)
- 日清戦争が始まる
- 銀座4丁目・服部時計店(現和光ビル)に初代時計塔が完成

店内には日用品から高級品まで、すべて舶来品。
横浜での買い付けに、自転車で通ったという。

オーダーメイド用のイギリス製シャツ生地。
店内のショーケースもイギリスから輸入した。

帽子はノックス、ステットソンから仕入れた。

1階の壁面。正面にワイシャツ。
1905(明治38)
- 前年より始まった日露戦争が終結する
- 夏目漱石『吾輩は猫である』が雑誌「ホトトギス」に掲載
常吉の義弟・梶原重蔵が、銀座4丁目(現在地)に田屋支店を開業。
同じく舶来洋品雑貨の販売を営む。ここが後の田屋銀座本店となる。

当時の外観。100年以上にわたり場所は変わっていない。
1923(大正12)
- 9月1日、関東大震災。規模はマグニチュード7.9
死者・行方不明者は10万人を越え、銀座の煉瓦街は焼失した
田屋の2店舗も焼失する。以後1丁目店は休店。
11月10日、銀座通りの商店が一斉開店。4丁目店は営業を再開する。

関東大震災10周年記念碑「燈臺」(銀座4丁目/数寄屋橋公園内)
1927(昭和2)
- 日本初の地下鉄(現銀座線)が浅草~上野間に開通

昭和3年の広告
襟飾にネクタイとルビが振られている。ネクタイの名称が一般化するのは大正の中頃から。
1929(昭和4)
- アメリカの経済悪化により世界恐慌が起こる

昭和4年の田屋(銀座4丁目/現在地)
2階の丸いアーチが印象的な田屋の外観。日除け。自転車。電信柱。並びには食堂と蕎麦屋。のどかな町の風景にも見えるが、大卒の就職難をテーマにした映画「大学は出たけれど」(小津安二郎監督)の公開もこの年。昭和初期の日本は、深刻な不況を迎えていた。
1930(昭和5)
- 三越が銀座4丁目角に出店

「復興大銀座地図」(昭和5)より
関東大震災から復興後の銀座4丁目・現中央通。真ん中に田屋。今も変わらぬ店の名も見える。
1932(昭和7)
- 服部時計店(現和光ビル)に現在の時計塔が完成
- 一時期撤去されていた「銀座の柳」が植樹で復活
1月、梶原市太郎が店主を継承。苦労して商売を身につけた市太郎だが、一番力を入れたのはオリジナルタイの開発だった。国産のネクタイに飽き足らない市太郎は、洋書を参考に京都の機屋を往復する。戦後「ネクタイの田屋」と呼ばれる基礎はこうして築かれた。

昭和8年の広告
すでに主要品目は帽子とネクタイであったのだろう。英文コピーは市太郎の作と思われる。
1936(昭和11)
- 二・二六事件

昭和11年の広告
「田屋の秋冬ネクタイ/色調と構図との渾一/優美と典雅との結晶/何れも藝術的創作」
現在の田屋のネクタイにも通じるコピーである。
1944(昭19)
- 開戦(太平洋戦争)から3年、戦局は次第に悪化
- 東條英機内閣が総辞職
戦時中の田屋は、配給キップ制の下、シャツ、下着類を売っていた。
12月、ネクタイの販売が停止となる。
1945(昭和20)
- 8月、終戦
- 銀座もまた空襲を受け、焦土と化した
家族と離れ、一人店舗に居住していた市太郎は、何とか空襲を逃れ、再建に取り組む。
1952(昭和27)
- 4月、サンフランシスコ平和条約が発効、日本が主権を回復
- ラジオドラマ「君の名は」が流行
4月、田屋を株式会社に改組。市太郎が代表取締役に就任する。

昭和30年代のロゴマーク
1956(昭和31)
- 日本が国際連合に加盟し、国際社会へ復帰 経済白書に「もはや戦後ではない」と記された
4月、東急文化会館/特選街に田屋渋谷店がオープン。
渋谷地区開発の先鞭を着けたのが、東急文化会館(渋谷駅前東口)。坂倉準三(1904~1968)設計によるビルは、映画館やプラネタリウムの入った、当時としては画期的な複合商業施設であった。(2003年閉館/現渋谷ヒカリエ)
1957(昭和32)
- 有楽町そごうがオープン
- 歌謡曲「有楽町で逢いましょう」がヒット
- 西銀座に数寄屋橋ショッピングセンター(現銀座ファイブ)がオープン
6月、阪神百貨店/特選街(大阪市梅田駅前)に田屋大阪店がオープン。
1958(昭和33)
- 東京タワーが完成
4月、丸越百貨店(石川県金沢市)に田屋金沢店がオープン。
1961(昭和36)
- レジャーブーム
- ソ連が初の有人宇宙飛行に成功
8月、H.B.C.三条ビル/東京銀座街に田屋札幌店がオープン。

高度経済成長期の幕が開け、銀座の名店が全国に進出した。
1966(昭和41)
- 日本の総人口が1億人を突破
- ビートルズ来日公演
6月、銀座4丁目本店ビルを新築(銀座三越との共同建築)。

銀座本店外観(昭和40年代)
高級チーク材でまとめたアイルランド風の明るい店内。外装は東京芸術大学教授(当時)で漆芸家の六角大壤(ろっかくだいじょう)教授(1914~1973)の指導のもと、商店建築で初の漆仕上げを試みる。施工の職人が漆にかぶれて困ったという話が残っている。商店建築として、中央区商店コンクール「最優秀賞」、東京都商店コンクール「東京商工会議所会頭賞」を受賞する。
1967(昭和42)
- 都電・銀座線が廃止
6月、名鉄メルサ本店(愛知県名古屋市)に田屋名古屋店がオープン。
1970(昭和45)
- 8月、銀座で歩行者天国がスタート
11月、田屋商事株式会社(開発・仕入部門)を設立。

清水比庵(1883~1975) 書「田屋 比庵八十七才」(昭和45年)
弟の清水三渓先生を通して親交のあった比庵先生よりいただいた。
1971(昭和46)
- 銀座三越にマクドナルド1号店がオープン
- 沖縄返還協定調印
11月、大阪店が阪急三番街(阪急梅田駅地下)に新装移転。
1973(昭和48)
- オイルショック
10月、金沢店がスカイプラザ(スカイビルディング)に新装移転。
1975(昭和50)
- ベトナム戦争終結
8月、札幌店が札幌パルコ(北海道札幌市)に新装移転。

プリントタイの全盛期。田屋ではこんなネクタイも。
1977(昭和52)
- プロ野球・王貞治がホームラン756号(世界新)を達成
10月、玉川髙島屋S・C南館(東京都世田谷区)に田屋玉川店がオープン。
1978(昭和53)
- カラオケが全国に広がる
8月、札幌エスタ(北海道札幌市)に二つ目の田屋札幌店がオープン。
1979(昭和54)
- インベーダーゲームが流行
8月、梶原章が代表取締役社長に就任。
1989(平成1)
- 昭和天皇崩御
- ベルリンの壁崩壊
- 冷戦終結
田屋織物工房(製造部門)を山形県米沢市に設立する。

田屋織物工房
専門店でも稀な自社工房を持つことで、田屋のオリジナルが本格的にスタート。極細糸によるネクタイ、シルクシャツも生まれ、新たな時代の幕開けとなった。それは「余所にはない物作り」を目指した章の念願であった。以後、帽子、ジャケットなど、オリジナルのアイテムも増えていった。
1992(平成4)
- バルセロナオリンピック開催
8月、玉川店が玉川髙島屋S・C本館に新装移転。
1995(平成7)
- 阪神・淡路大震災

この年、新たな織機の導入、様々な制約と工夫を経て、従来の表現力を飛躍的に高めたオリジナルタイ〈オーバーテン〉が生まれた。厳選された素材。個性的な柄。何より締めやすく、型崩れしにくい。流行は取り入れても、一線を画す"遊び心"あふれる柄。以後、自社工房の強みが発揮された自信作が続いていく。
1999(平成11)
- 世界の人口が60億人を超える
- 31年続いた大銀座祭りが休止となる
10月、札幌エスタがアピアに改称。それに伴い、札幌店が新装移転。
11月、梶原楊子が代表取締役社長に就任する。
2002(平成14)
- 日韓共催でサッカー・ワールドカップ開催
2月、金沢店がめいてつエムザに新装移転。
2004(平成16)
- アテネ・オリンピック開催
- 新潟県中越地震
田屋のホームページを開設。
2005(平成17)
- 愛知万博(愛・地球博)開催
- 日本の総人口の5人に1人が65歳以上に
田屋が創業100年を迎える。
2006(平成18)
3月、名古屋店が栄メルサに新装移転。
2007(平成19)
6月、梶原楊子が代表取締役会長に就任。梶原伸悟が代表取締役社長に就任。
10月、ホテルニューオータニ(東京都千代田区)に田屋ホテルニューオータニ店がオープン。
2008(平成20)
3月、名古屋店(栄メルサ)が新装オープン。

干支(十二支)ネクタイ
年度の干支を中心に、十二支の動物柄(12種)が毎年入れ替わる。年末恒例の人気シリーズ。
2010(平成22)
9月、銀座本店が44年振りの全面改装で新装オープン。

新装後の銀座本店
「Casa BRUTUS」誌上でリニューアルコンペを実施。公募件数316件の中から、千葉学氏の設計が選ばれた。外観は、光の角度で印象が変わるバイブレーション仕上げのステンレスを使用。内装は、ステンレスと黒檀を合わせたシャープなデザインに。2階は、ゆったりとお客様が過ごせるサロン風の売場とした。改装を終え、次の100年を歩み出した田屋。伝統をタテ糸とするなら、流行はヨコ糸。先人が紡ぎ、織り成した銀座で、その糸を絶やさぬよう、田屋もまた、老舗という生地を織り続けなければならない。

新装オープンに合わせ、ロゴマークも変更。新ロゴ(上)/旧ロゴ(下)
書体は、従来のフォルムに従いつつ「伝統を継承し、新しい時代への飛躍」という思いが込め、よりスリムに。マークは、紳士の全身像から「型にとらわれず、それぞれのスタイルでお洒落を楽しむ」べく、ハットをかぶったシンプルなシルエットに。

イニシャルタイ
アルファベット26文字が、1文字につき1柄揃う全26種のネクタイ。
毎年デザインが入れ替わる、ギフトに適したオリジナルシリーズ。
2021(令和3)
- 東京で二度目のオリンピック開催
2025(令和7)
創業百二十周年を迎える。