田屋の歴史 〜 明治・大正 〜

 
※凡例 =   :田屋の出来事 /   :銀座の出来事 /   :世の中の出来事
 年代 出来事
 
1989
(平成元)
昭和天皇逝去、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結…、「昭和」という一つの時代が終わった。
田屋織物工房(製造部門)を山形県米沢市に設立する。

田屋織物工房
田屋織物工房
米沢織の伝統と銀座の老舗が出会った。

ネクタイの<オーバーテン>シリーズ、シルク地のシャツなど、本格的な「TAYAオリジナル」はここでスタートを切った。専門店では稀な自社工房を田屋は持った。それは「よそにはないモノ創り」を目指した章の念願でもあった。
ネクタイに限らず、帽子、シャツ、ベストなどトータル方向を目指すきっかけにもなった。ささやかだが、一つの時代が幕を開けた。
1992
(平成4)
8月、玉川店が玉川島屋S・C本館に新装移転。

1995
(平成7)
新たな織機の導入。オリジナルネクタイ〈オーバーテン〉の誕生。

オーバーテン・タグ
オーバーテン・タグ(平成7年〜)
この年、新たな織機の導入と長年の研鑽がある成果を生んだ。オリジナルネクタイ〈オーバーテン〉の誕生である。その名の通り10色以上の色数が、従来の表現力を飛躍的に高めた。色数ばかりではない。糸の太さ、織りの手間。様々な制約と工夫を経て、田屋の自信作が出来上がった。自社工房の強みが発揮されたのだ。以後、ヒット商品は〈オーバーテン〉から生まれていく。
手描の干支ネクタイ
手描〈干支〉ネクタイ
この頃より、新年の干支を描いたシリーズも始まる。
平成のオリジナルタイ
平成のオリジナルタイ
厳選された絹糸、個性的な柄。何より結びやすく、締めやすい。流行を取り入れても、一線を画すのが田屋の姿勢。左から紅葉、エビタイ、カモネギ。近年は遊び心のある具象柄が人気を博している。これも時代の要請と言えば大袈裟か。
1999
(平成11)
10月、札幌エスタがアピアに改称。それに伴い、札幌店が新装移転。
11月、章死去につき、梶原楊子が代表取締役社長に就任。



2001
(平成13)
― 21世紀の幕開け

2002
(平成14)
2月、金沢店がめいてつエムザに新装移転。

2003
(平成15)
東急文化会館閉館に伴い、渋谷店閉店

2004
(平成16)
「田屋ホームページ開設」

2005
(平成17)
田屋、創業100年をむかえる

2006
(平成18)
3月、名古屋店が栄メルサに新装移転。
4月、大阪店閉店。

2007
(平成19)
6月、梶原楊子が代表取締役会長に就任。梶原伸悟が代表取締役社長に就任。
10月、ホテルニューオータニ東京にニューオータニ店がオープン。

2008
(平成20)
3月、栄メルサにて名古屋店が新装オープン。

2010
(平成22)
1月 名古屋店閉店。

― 現在に至る。

現在の銀座一丁目
現在の銀座一丁目
明治18年、洋小間物商・田屋(現在の田屋の前身)が創業された銀座一丁目の現在の様子。当時はまだ珍しかった洋装も今は当然のファッションとなった。銀座の街も大きく変わった。
現在の銀座・昼
現在の田屋 ―銀座の昼と夜―
伝統とトレンドの交差する街GINZA。

伝統をタテ糸とするなら、トレンドはヨコ糸。先人が紡ぎ、織り成した銀座、老舗という生地の末端を、わたしたちもまた織り続けなければならない。
現在の銀座・夜