田屋の歴史 〜 明治・大正 〜

 
※凡例 =   :田屋の出来事 /   :銀座の出来事 /   :世の中の出来事

田屋の歴史 年代 田屋の歴史 できごと
 
1927
(昭和 2)
浅草-上野駅間に日本発の地下鉄「銀座線」開業。
昭和三年広告
「広告」(昭和3年)
襟飾にネクタイのルビが。ネクタイという名称が一般化するのは大正の中頃から。
1929
(昭和 4)
世界恐慌
昭和四年頃の田屋
昭和4年頃の田屋(銀座四丁目・銀座通り沿い)
中央の店が田屋で現在の本店と同じ場所だ。モダンというよりは古典味のある店舗には日除けがついている。両脇が食堂(丸見屋と藪蕎麦)というのも面白い。街灯・電柱・電線。往来を行く着物姿の男性の頭には、当然のように帽子が乗っている…。ちなみに路上の自転車は田屋のもの(らしい)。どこか懐かしい昭和の一コマだ。
1930
(昭和 5)
銀座三越が開店
 
昭和五年の銀座四丁目地図
『復興大銀座地図』(昭和5・4)
関東大震災から復興後の銀座四丁目交差点附近。通りには今も変わらぬ店の名もみえる。田屋本店裏のゴンドラは当時のカフェ。
1931
(昭和 6)
満州事変

1932
(昭和 7)
1月、重造死去につき、店主を梶原市太郎が継承。
甲州商人常吉の上げた田屋の暖簾が、市太郎という「一高、帝大」出の異色の店主へと受け継がれたのも時代の流れであったろう。

苦労して商売を身につけた市太郎が、一番力を入れたのがオリジナル・ネクタイの開発だった。国産のネクタイに飽き足らない市太郎は、洋書を参考に京都の機屋を往復する。明治に続くオリジナル。ネクタイの第二期だ。戦後「ネクタイの田屋」と呼ばれる基礎はこうして築かれた。だがそれはまだ先の話だ。
 
昭和八年広告
「広告」(昭和8年)
すでに品目の中心が帽子、ネクタイであったことがわかる。英文のコピーは店主・市太郎の作と思われる。
1936
(昭和11)
二・二六事件

 
昭和十一年広告
「広告」(昭和11年)
「斯界の先駆」「清澄の蒼空」…。今となってはレトロで新鮮な当時のコピー。
1941
(昭和16)
第二次世界大戦

1944
(昭和19)
戦中の田屋は配給キップ制の下、シャツ、下着類を売っていた。12月にはネクタイの販売が禁止となる。

1945
(昭和20)
終戦
防空壕のある銀座通り、焼け野原の銀座地区…。現在からは想像もつかない姿がかつてあった。1月、3月、5月と銀座への空襲が重なる。流行先端の街が焦土と化した。
家族を残し、一人四丁目の店に居住していた市太郎は何とか空襲を逃れ、店舗再建に取り掛かる。